2012年4月22日(日) 一般参加者24名+リーダー(金子・高橋・新井)
陸前高田市における第7回目の支援活動です。
まず、朝のミーティングで副所長さんからご挨拶があり、この日、昨年4月23日のセンター設立からちょうど1年が経ったのだということを知りました。この間に、延べ10万人近いボランティアが陸前高田市で活動したそうです。
今回わたしたちが託されたのは「畑作り」でした。といっても、もともと農地だったところを整地するわけではなく、津波により流されてしまった住宅跡地に花を植えるための準備作業です。依頼主の方は、築130年の大切なお宅を津波に奪われてしまい、今は小さな3部屋しかない仮設住宅にご家族6人で暮らしていらっしゃるそうです。
敷地内には、前日に入ったボランティアさんたちにより、すでに3列ばかりパンジーの花が植えられていました。わたしたちはその引き継ぎです。
道路沿いに広がる敷地のうち、半分は、踏み固められた土から瓦礫やゴミを掘り起こすところから始めましたが、残りの半分はすでに整地が済んでおり、堆肥を撒き、スコップで土と混ぜるという作業でした。
4月も下旬ですが、辛うじて雨にはならなかったもののまだまだ風が冷たく、作業中に汗をかいた分、休憩時間には急激に体が冷えて困りました。関東をだいぶ前に通り抜けた桜前線も、いったいどこで足踏みをしているのか、陸前高田市にはまだ訪れていないということでした。
女性の参加者数が男性を上回った今回の活動でしたが、驚くほど首尾よく作業が進みました。群馬の県民性といいますか、女性を思い遣って重労働を一身に引き受ける男性陣と、男性に負けてなるものかとパワフルに働き回る女性陣の相互作用がうまく結晶したような具合でした。
また、春休みが終わったにも係わらず、高校生のグループが参加してくれました。お話を聞いてみたら、これまでもずっと参加したいと思っていたのだけれど、中学生の参加は認められておらず、この春やっと高校生になったので念願叶って参加した、ということでした。頼もしい!のひと言に尽きます。
作業終了後、依頼主のお母さんがわたしたちにお話を聞かせてくださいました。震災の日にご自分やお孫さんたちが体験したこと、あの日に失ったものの数々、それでも命だけは助かったから、今こうしてまた前を向こうという気持ちになれたのだということ。気丈に、とても丁寧に話してくださいました。そして、わたしたちに何度も何度もありがとうと仰いましたが、きっと参加者全員が、こちらこそお礼を言いたいような気持ちになっていたと思います。それくらい、お母さんのお言葉ひとつひとつがわたしたちの胸に強く響きました。
帰り際、パンジーにジョウロで水を遣る手を止めて大きく手を振ってくれたお母さん。今回はお母さんのお蔭で、皆の気持ちがいつも以上にひとつになれました。参加者の皆さんの感想です。
- むかし陸前高田へ海水浴に来たことがあったが、あの時に見た町並みはすっかりなくなってしまった。この町のために皆さんとこうして1日活動できてよかった。
- 最後に依頼主の方のお話が聞けてよかった。ボランティアとしてできる仕事は限られているが、できる限りをこれからも精一杯やっていきたい。
- お母さんのお話を聞いて、自分たちの入る現場というのは、さまざまな方の気持ちのこもった場所に入らせていただくのだということが分かり、謙虚な気持ちで活動しなければと思った。
- 若い人たちが頑張っているのを見ると、日本の将来は明るいなと思った。
- 今回はお母さんのお話を聞くことができ、復興にはまだまだ時間が掛かることや、どれだけの傷を受けられたかと思えば胸が締め付けられるが、そんな人たちのために少しでも力になれたと思えば嬉しい。
- 依頼主の方のお話を聞いた時は涙が込み上げたけれど、その方の笑顔も見られてよかった。また、今回は友人が一緒に参加してくれて嬉しかった。
- 測り知れないほど辛い思いをされた依頼主の方が、その辛いお気持ちを整えてわたしたちにお話をしてくださったことに感謝したい。たくさん学ばせていただいた。
- 小さなことしかできないが、それを積み重ねることで大きなことへ膨らんでいくのだと思う。これからも細く長く力を貸すことができたらと願う。
参加者のみなさん、たいへんお疲れさまでした。
そして、参加者・スタッフ一同より、お母さんへもういち度、ありがとうございました! 次回、またお母さんの花壇を見に行く日を楽しみにしています。
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