2012年3月4日(日)南三陸町ショッピングセンターでの泥かき作業

2012年3月4日(日) 一般参加者28名+リーダー(金子・新井・小野里)

南三陸町における22回目のボランティア活動は、前の週にひき続き、この町のショッピングセンターでの泥かき作業となりました。
2月の末にようやく瓦礫撤去許可が下りたばかりのこの建物は、ボランティアが入るようになってからまだ日も浅く、震災から間もなく1年という時間の流れに取り残されたかのように、被災当時の痛々しい姿をほぼそのままに残しています。わたしたちがこの活動を始めた当初はこういった現場に遭遇することも多々ありましたが、時間の経過とともに作業内容も変化し、最近は、屋外での瓦礫撤去作業が主で、いまだにこういった現場を目にすることは驚きでもあり、また、瓦礫の埋まった土砂を掘り起こす度に湧き上がる異臭は、春や夏の頃の活動を髣髴させるようでした。

作業としては、まず、堆積した泥の中から大きな瓦礫を取り除き、残った泥をレーキで掻いて今度は細かい瓦礫やゴミを取り出し、分別して、屋外のゴミの山に捨てる、という工程を分担してやりました。ショッピングセンターということもあり、泥の山の中にはさまざまなものが紛れていましたが、商品よりも、建物自体やその設備の残骸のほうが圧倒的に多かったようでした。泥の山から覗く幾重にも折り重なった瓦礫を引き抜いたり、分別したゴミや泥をネコで運んだりするのは相当な重労働ですし、また、泥にまみれたゴミをひとつひとつ分別するのは本当に気の遠くなるような作業です。開始当初は、やはり、勝手が分からなかったり、また、つるはしなど普段使い慣れない道具での作業に戸惑うこともあったようでしたが、1時間もするとみなさんすでにコツを掴んだらしく、とても手際よく作業されていました。老練の常連さんたちは、現地の作業で必要とされる道具をよく心得ていて、最近では、「マイつるはし」や「マイハンマー」等を持参されます。なかには、現地作業のニーズに合った道具を自作して持参される方までいて、本当に頭が下がる思いです。

この日、現場からは複数の骨が見つかりました。何の骨だかは素人目には分かりません。食品の販売もあったところですからなおさらです。現地VCリーダーさんが警察に引き渡し、鑑定に回されます。
作業後、リーダーさんが「今ではもう、行方不明の方を発見できるのはわたしたちボランティアだけです」とおっしゃいました。警察や自衛隊による捜索が終わった今となっては、確かにその通りなのだと思います。ボランティアとして現場に入るに当たっては、わたしたちもその自覚を持って臨まなければなりません。今回、みなさんの丁寧な分別作業のお蔭で複数の骨、あるいはお骨を見つけることができましたが、いまだ400人以上の行方が分からないままのこの町で、もう1年余りも待ち続けていらっしゃるそのご家族の方々のご心痛を思えば、先に「気の遠くなるような作業」と書きましたが、その努力も決して苦にはならないものです。

お昼休み、空が穏やかに晴れ渡っていたので、全員が建物の外で昼食をとりましたが、外側から眺めても、津波がこの建物を丸呑みにした様子がありありと見て取れました。最上階まで、窓という窓はすべて打ち破られ、屋上でさえ、避難場所としての役目は果たさなかっただろうことが一目瞭然です。周囲を見回しても、信じ難いほど大きく損壊した鉄筋の建物や、おそらくその上には民家や商家が建っていたであろう建物の基礎、そして、巨大な瓦礫の山の脇に横倒しになったSL。この町がいまだこんな光景であることを、この町に限らず、被災地にはいまだこのような光景が広がっていることを、この光景の中に暮らすことを余儀なくされている住民の方々がいることを、いったいどれだけの日本人が把握しているのだろうという疑問が頭をよぎります。あわせて、瓦礫の受け入れがなかなか進まない現状を思うと、もどかしさを通り越して苛立ちさえ覚えます。

今回も、災害ボランティア活動初参加の方が3分の1ほどを占め、帰りのバスでも、「実際に現地へ行ってみて、まだまだ人手が必要なことを実感できた」という感想がもっとも多く聞かれました。また、遠い他市他県よりもご参加いただき、年齢も、下は10代から上は70代まで、老若男女入り混じり、ひとつのチームとして、結束して活動できたことをとても嬉しく思います。
ご参加くださったみなさん、 たいへんお疲れさまでした。

次回は3月10日、ふたたび南三陸町で活動します。

あの日から、もう1年が経ってしまいます。

※現地スタッフさんに特別に許可をいただき、活動の様子を写真撮影させていただきました。


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