陸前高田市活動報告 2012年3月3日(土)

一般参加18名+リーダー2名(粟田、高橋)

陸前高田市での活動は3度目になります。
0時、桐生駅を出発。2時頃、上河内SAにて休憩を取ってすぐ、東北道白河ICより先、白石まで雪による通行止め情報が入りました。白河ICを出るまでの大渋滞もあり、結局4時間のロス。
朝になって、陸前高田市VCへ到着が遅れる旨の電話連絡を入れると、VCでは東北道通行止めを把握していましたが、今度は陸前高田市が雪のため、作業時間を短縮する決定を出したとの事。作業終了時間は、我々が到着する予定の12時でした。
参加者にその事を告げると、バスの中は落胆の空気に包まれてしまいました。今回は長野県や千葉県から参加してくれた方がいた事もあり、残念な上にも残念でした。
ただ、陸前高田市VCからは、
「来てくれれば、話をすることはできる」
と言われているので、ともかく現地には向かう事を決めました。また、今回初めて被災地に足を運ぶという参加者が7人いました。その7人に被災地の姿を見てもらう事にも意味があります。
登米から本吉を抜け、気仙沼市唐桑を越え、陸前高田市へ。
12時、VCに到着。念のため、我々に割り当てられていた作業現場を聞いてみると、第一回目に陸前高田市で活動をした時と同じ現場でした。
第一回目では漁港の側溝を片づける班と、避難路を作るために竹林の伐採をする班との2班に分かれましたが、その竹林の伐採の続きと、伐採した竹の分別作業です。

我々の他にもう1団体、雪により到着が遅れた団体がいました。その方々と一緒に、普段作業に入る前より少し長いオリエンテーションを受けました。
オリエンテーションを担当されたのは、陸前高田市出身のスタッフの方です。
最初の津波の直後、救助に向かって、2度目の津波で犠牲になってしまった消防団の方々の話。
父親を目の前で車ごと引き波に持って行かれた方の話。
震災直後、窃盗や暴行を働いた一部のボランティアの話。
震災前の陸前高田市の風物や、そこで暮らしていた人達の気質など。
孤立した地区の人々が、食料を持ち合って分配し、教員や元教員が、地域の子供達のために小さな学校を作った話。
その土地の人間の視点での様々な話に、聞く我々は引き込まれました。
結果的には、作業をするのとはまた別の、貴重な経験になったと思います。

陸前高田市からの帰り道、南三陸町を通り、一週間前にオープンした「南三陸さんさん商店街」に立ち寄りました。その場所は、多くのボランティア参加者が、小さな瓦礫を拾い集めて綺麗にした場所でもあります。
ほんの少しずつですが、復興が形となってゆく。そのことに、わずかではあっても、関わりを持つ事ができたのだということを実感しました。

最後に、陸前高田市VCで聞いた話の一部を記します。
「僕たちが一番恐れているのは、風化することです。何が風化する事を恐れているか、分かるでしょうか?震災の後に生まれた、助け合いの心や、他人を思いやる気持ちです。それらがいつの間にか忘れられてしまう事です。」


次回の活動は3月10日土曜日です。
あれから1年が経とうとしています。
次回参加する皆さん。よろしくお願いします。


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