宮城岩沼・泥かき支援レポート

(平成23年4月21日・木)

1. 岩沼市へ
サン建設社長の腰塚さんに誘われて「泥かき作業ボランティア」に参加した。
4月21日(木)6:00、サン建設本社(桐生市東2丁目)前集合出発。出発前、亀山市長(4/24投票日前の選挙期間中)が激励&見送りに駆けつけ、参加者と共に記念写真。43名の参加者の半数はサン建設の協力会社、残りの半数は腰塚さんの個人的な友人で腰塚さんの幅広い人脈を実感する。赤城観光の大型バス(トイレ付)には「桐生災害支援ボランティア派遣センター」のメンバー3名が同乗して計45名の乗客。これとは別に、ねこ車・スコップ・竹箒など本日の作業に必須の道具を満載した小型トラック1台がバスに併走する。桐生から宮城県岩沼市までは地図上で凡そ300Kmほどの距離か? 途中「上河内SA」「吾妻PA」でのトイレ休憩を経て、9:55白石ICで東北道を降り、国道4号を北上して岩沼市に入る。沿道の市街の景色は桐生郊外・50号沿いの様子に似ていて、商店は概ね平常通りに営業しているように見受けられる。瓦屋根にブルーシートを被せた家を何軒か見かけたが、バスの車窓から見た限りでは桐生の瓦屋根被害の方がひどいように感じた。3月11日大震災当日、震源から100Kmほどの岩沼市は桐生と同じ震度「6弱」だったとのこと、津波被害を受けていない市街地に被災地区の印象はない。岩沼警察署を右折して常磐自動車道・岩沼ICを過ぎると、周囲は見渡す限りの田畑で様相は一変する。津波のためだろう、一面ゴミのようなものに覆われて、所々に残骸となった自動車が放置されている。あちこちに水溜りができているのは、押し寄せた海水なのか、前日に降った雨のせいなのかは定かでない。右手阿武隈川堤防上の満開の桜を観ても素直に喜べなかったのは小生だけだったろうか? 途中、警視庁(東京からの応援)・自衛隊(陸自第10師団)の道路検問を受け、10:30目的地の岩沼市寺島地区・菅原家に到着した。

2.菅原家での泥掻き作業
ゴム長靴・ヘルメット・アノラック・ゴム手袋などの装備を手早く整えた46人のボランティア作業隊は二手に分かれて、菅原家の人々との挨拶もそこそこに10:45早速作業開始。作業内容は住宅と隣接する作業場の内部に侵入した泥、建物周辺に積もっている泥を掻き出すという単純なものだが、これが半端ではないボリュームである。畳やカーペットは海水まじりの泥水(腐臭がする)を含んでいて、二人掛かりでようやく持ち上げられる重さである。畳を剥がした床板には3センチほどの厚みで泥が積もり、津波と共に流れてきた藁くずのようなものが混じっている。床板の下にも恐らく泥水が侵入しているに違いないが今回は手をつけられない。スコップで丁寧に泥を掻き、ねこ車に載せては屋外に運び出す、この作業を何十回と重ねる。押入れには電話帳や書類、写真アルバムなどがあって、どれも泥水を含んでずっしりと重い。津波が襲った時刻だろうか、壁の掛時計が3:50で止まっている。写真アルバムだけは菅原家の奥さんに手渡す。箪笥や食器棚など大きくて重い家具も皆で力を合わせて屋外に運び出す。恐らく食器など再びは使えないだろう。農家の広い庭だが、たちまちのうちに運び出された瓦礫(失礼な言い方を承知?)で埋め尽くされてしまう。2回の休憩を挟んで、概ね泥を取り除いた後は箒で丁寧に仕上げの掃除をして、正味4時間ほどの作業を終えたのが15:40。
菅原家の人々と一緒に記念写真を撮って、当主の弟さんという方から涙を流しながらの謝辞を頂いた。同じ日本人同士、この程度の協力しかしてあげられないのが悔しい。10分ほどで身支度を整え、15:50菅原家前を出発。菅原家の人々が深く腰を折ってお辞儀をし両手を振って送ってくれた姿が、眼に焼き付いている。

3.周辺の被災状況(数分だけ概観した範囲で)
菅原家は農家で相当規模の水田を有しているとのことだが、畦道以外周囲に目印となるものはない。地図で確かめると、仙台空港の南約7Km、太平洋海岸線から1km、阿武隈川の河口に2Kmほどの位置にある。震災当日、津波は住宅1階の天井間際まで押し寄せ、菅原家の人々は300mほど西の阿武隈川堤防へ避難したとのこと、堤防の高さは凡そ10m程だろうか?。新聞記事によれば、14:46地震発生、15:50ごろ高さ3mを超える津波が仙台空港を襲って、ターミナルビル屋上に1,200人以上の人々が避難したと報じられている。ほぼ同時刻にこの菅原家の辺りも同規模の津波に襲われたはずである。福島第一原発を襲った津波が高さ15mだったというから、阿武隈川の堤防上で津波被害をまぬがれたというのは幸運としか言いようがない。道路沿いの電柱はことごとく傾いている。見渡す限りの田畑は泥に覆われて、建物の残骸、流された自動車、小型の舟(近くに漁港は無い)、流木などが散乱している。所々に農家と思われる住宅が点在しているが、どの家も津波を被った痕跡があり、流されてきた自動車や流木がぶつかったのか、壁や窓が大きく損壊しているものも見受けられる。そう言えば、菅原家では家屋の損壊は屋根瓦程度だったが、ブロック塀は揺れと津波にすっかり押し倒されてしまっていた。人口4万4千人の岩沼市で、震災と津波による死者・行方不明者の合計は185人とのこと。幸い菅原家には死者はいなかった模様である。
菅原家から北へ800mほどの位置に、精神科・内科・歯科を診療科目とする「南浜中央病院」がある。3/11被災当日、建物1階は天井まで浸水したが、入院・外来合わせて約200人の患者を病院スタッフが2階及び屋上に避難誘導し、翌3/12朝には屋上に石灰で「SOS」の文字を書いて救助を求めたことが新聞・テレビのニュースで賞賛された、あの病院である。ネット上に露出するブログやツイッターによれば、出入りの給食業者の人が2名被災死亡していて、病院側の指示が原因であるかの様に書かれているが、ことの真相は小生には判断できない。
菅原家の人々は農業(稲作?)を再開したいと言っていたが、国土地理院が発表した浸水範囲地区は海岸線から4Kmまでの範囲に及んでいて、更に地盤が沈下していることを重ね合わせると、気の毒ながら「海水を被った農地で稲作が出来るのか?」と、疑問に思わざるを得ない。行政の強力な支援無しには、東北太平洋岸地区の農業の再生は困難だと思う。
帰路、被災した寺島地区を30分ほど一回り見学した後、東北道で2回のトイレ休憩をとって21:30桐生へ帰着。腰塚さんのリーダーシップと好天の作業環境に恵まれて「泥掻き仕事」はそれなりに成果を上げたと考えている。

4.被災地を目の当りにしての雑感
被災地を自らの眼で見、空気を肌で感じ、その場所で汗をかいて改めて心に思うことを書き留めておきたい。
小生自身が災害に遭ったらと考えるとき、圓生の落語『大名房五郎』に語られる川柳「ひもじさと、寒さと恋を比ぶれば、恥ずかしながらひもじさが、先」を思い出す。
被災して1週間くらいは、「命が助かっただけでも有難い、1日1個のおにぎりでも有難い」と思うだろう。その後1カ月くらいは「避難所に暮らして雨露さえしのげれば充分」と考えるだろう。しかしその後は、職場(社会)への復帰や家族のプライバシーへの欲求もあり、生活再建のための行動を起こしたいと切望するだろう。発災から50日以上経った5/3現在、警察庁資料によれば18都道県、2,438箇所の避難所にいまだ125,578人の被災者が暮しているという。地方行政の首長・職員も全力で努力していることと思うが、12万を超える人々の難渋を思うと心が痛む。
 今回の大震災では原発事故が重なって様相を複雑にしている。政府首脳・東電経営陣の対応についての感想は、敢えて言葉を控える。
4/25、福島県郡山市の原市長は市内小中学校・保育所の放射線に汚染された校庭の表土を除去すると発表し、作業の模様が新聞やテレビでも紹介された。報道内容は、国や県が動かない中独自の判断とリーダーシップを発揮した市長を賞賛するという論調であった。しかし数日後のTVニュースでは、市内埋立地近くの住民が強硬に反対して作業が中断したことを報じ、校庭の隅に積み上げられた表土がブルーシートに覆われている様子が画面に映し出された。結局、学校の児童生徒たちは校庭での活動ができないでいるそうだ。自分の子や孫が学校に通っているとしたら、埋立地が自分の住まいの近くだったら、自身どちらに賛成するだろうか?小生には即座に判断がつかない。
仕立ての良いスーツに身を包んだサンデル先生が、テレビ画面の中で得意げに問いかけていたのを思い出す。「一人を殺すことで五人を救えるとしたら、あなたはどうしますか?」
 サンデル先生! 血・涙・汗を流している生身の人間の現実世界は、空調の効いたハーヴァード大のホールで討論しているような単純なものでは無いんですよ!!  / 村田豊樹

―― 了 ――

【参考資料】ネットで確認下さい

仙台空港ビル http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/495917/

南浜中央病院  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1457465484
http://www.youtube.com/watch?v=RTxEpuKg8AQ

浸水範囲概況図 http://www.gsi.go.jp/common/000060133.pdf

避難所&避難者の数 http://ranasite.net/?p=1620

 

ページ 1 | ページ 2


写真をクリックすると大きくなります。 何台かのカメラで写しておりますので写真が前後することがあります。




























































戻る